越境がオープンになり賛否が有りながらも遠方へ足を伸ばせる様になりましたが、まだクローズな時のお散歩コースに都心の富士塚巡りがありました。富士塚って言われてもピンと来ないかもしれませんが富士山のミニチュアと考えてもらえばそう間違ってはいないと思います。富士山の溶岩で囲まれ大抵は浅間神社の祠が建っています。
しっかり管理された富士塚の千駄ヶ谷富士(鳩森八幡神社境内)です。
登山案内もあり、昇り下りが作られてコースもロープ張りされ何合目かの立て看板もしっかりあります。行った日はこの富士塚のある鳩森八幡神社の祭事だったようで本家富士同様長蛇の登山列が出来ていました。ここはすぐ近くに新国立競技場があって普段でも散策は多い雰囲気をかもしていました。
↑ここから北にバイクで25分ほどで音羽の富士塚(護国寺境内)があります。
護国寺ってしょっちゅう前を通るんですが一度も入った事なかったんです。その理由が山門前に見張り番の様に交番があり、かつ三叉路交差点の留位置に入り口があるので突っ切って車を入れるのが引けてしまう雰囲気があります。ですがこの山門正面から入って左側を抜ければ境内の中から上の駐車場まで誰でも入れる様になっています。
まずは本堂にてお参り。広い境内です。護国寺は墓守の寺でもあるので賑やかではありません。
これ↑が音羽の富士塚。溶岩と石碑が同心円状に並んでいて、いくつもの登山道が巡っています。石碑には各地の富士講の御師(旅行代理店の屋号みたいなもの)が並んでいます。
さらに北側に十条富士があります。
この十条富士塚は地元寺社仏閣の境内にあるわけではなく、単独で祀られています。つい最近隣のビルに社務所が設置された様です。周囲の地形からここだけ富士塚の為に造成したには背が高く、おそらく古墳か貝塚の上に盛られたのかなっていう感じです。ここは上の2つと違って綺麗にコンクリ階段が設置されていてハイヒールでも登れますw
最後が品川富士(品川神社境内)です。
神社としてもそこそこ有名で、石鳥居の柱に龍のレリーフがあったりと何やらいわれが有りそうな神社です。この参道階段中腹左に富士塚の山門鳥居があり、そこそこ高い位置まで登っていきます。
案外急な階段で、小塚と言えど高所恐怖も感じられる富士塚です。
全景を捉えることができなかったので道路対面からパチリ。↑赤ラインが品川富士塚になります。この山頂でカメラを構えている人がいたので同じ様にぼーっとその時を待っていると、羽田に降りる飛行機が低空飛行で通過しました。すでに着陸体制で車輪も出ていて、これが羽田新航空路かと気付きました。街中から見るとマジカ!って感じの低さです。
江戸時代、山岳信仰富士山の登山が大ブームになりました。NHKのブラタモリを見ている方なら富士講としてそのキャンペーンが知られています。富士塚は富士登山のPR が主な目的でしたが、もう一つ重要な要素がありました。それは富士山に登れないご老人や女性の為の富士山です。なぜ女性の為かというと富士山は女人禁制であったからです。男女隔てる事なく富士参りができる様になったのは明治5年です。近代に入るまで女人禁制だったのには驚きです。ですが江戸時代に登った女性も結構記録に残っているそうで、髪を切り男装して富士参りをしたそうです。女性は強し!
現在本物の富士登山は入山禁止になっています。いつ開山されるかはわかりませんが、こんな形で小さな富士登山はどうでしょう。日本全国どこにでも有ります、お手軽ですよ^^