あれから四半世紀

寝ぼけ眼でTVを点ける。高架道路の倒壊した映像が飛び込んで来る。映画?何処かの国のニュース?TVから目を離してコンロでお湯を沸かしインスタントコーヒーを入れながら音だけ聞いていた。死者1名が確認されていますとアナウンサーの声。

コーヒーを飲みながら再びTV画面を見る。えっ!?っと目を疑った。倒壊した道路は阪神高速、母の故郷の甲子園近辺の映像だった。

25年前の朝、私は東京でその報道を見ていました。

 

すぐに会社に向かいます。SNSどころかネットさえ確立していない当時、支店や関連会社からの情報を期待しての早出でした。会社に着くと同じ様に関西圏の情報を求める同僚が多く早出していました。関連会社から被害の範囲が見えて来ましたが親族との電話は繋がらず午前中は情報収集のみに奔走していました。

 

実家とは連絡が取れないまま、叔母に連絡が取れたのは昼過ぎ。祖母宅が倒壊したが祖母も親族も全員無事だと知らされます。実家と連絡が取れたのは夕方になってからでした。親族家の多くは瓦が落ちた程度で家具を含め大きく崩れる事はなく、またインフラも止まることがなく少しの片付けで日常に戻れた様です。食材は長らく品薄だった様ですがそう不便ではなかったようです。

 

もう四半世紀になります。1995年、阪神淡路大震災が起こるまでは日本が自然災害国だとは理解していませんでした。そのあと中越地震、岩手宮城内陸地震東日本大震災熊本地震と印象に残る地震があって、水害や台風も重ね、頻繁に災害がある国なんだと理解しました。でも実の所は阪神淡路大震災以前もM7クラスの地震は数年の間しか空けずに頻繁に起き続けていたんですね。その度に再生を繰り返してきた国だったんだとようやくわかりました。

 

あらためてすごい人たちが住む街なんだと思います。

はるか昔から再生を繰り返して来た国なんだと、そしてはるか先の未来もそうであるのだろうと願った1日でした。